2011年07月13日

第三章 お家騒動2

『水無瀬桜』

目次

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「……本当に、大丈夫なんですか?」

「す、すまぬ。やはり……体調がすぐれぬようだ。約束はまたいずれ」

 すぐれないのは体調ではなかった。上手くいく、というのがどういうことかを考えた時に、先だっての帯刀の行動と組み敷かれた自分を思い出してしまったからだった。むろん、合意の上に行われるそれとわけが違うのは理解している。だが、頭は理解していても、気持ちが付いていかない。それを考えてしまうと、自動的にあの時の恐ろしさを思い起こしてしまうのだ。

 桜丸の顔色を見て正三郎は帯刀を見やった。帯刀は正三郎に頷くと桜丸の肩に触れた。

「桜丸様……」

「触るなッ!」

 触れられた途端、桜丸は怒声を上げて帯刀を振り払った。

 桜丸が帯刀を拒絶するなど初めて見る光景に、遠巻きに正三郎の様子を伺っていた連中までもがぎょっとした。皆の驚愕した顔に桜丸は己のさらなる失態を悟った。

「……一人で帰れる。放っておいてくれ」

 桜丸は皆に背を向けて屋敷へと歩き出した。帯刀だけはいつもの読めぬ表情のまま仲間たちに一礼すると、桜丸の後を追う。取り残された一同は間抜けに口をあけて、桜丸と帯刀を見送った。

「喧嘩でもしてたのかね?」

「あの二人でもそんなことがあるのだなぁ」

 一人が風呂屋に行く約束を言い出すまで、皆口々に桜丸たちの心配とも噂ともつかない話を口にした。





 無言の道中も気にならないのか、帯刀は黙って桜丸の後ろをついてきた。

 帯刀がついてきているのはわかっていたけれど、何と声をかければよいのかわからず、桜丸はもやもやとしたまま歩いた。

 あれは帯刀が伊之助に近付きすぎた桜丸を諌めるためにやったことだ。そうわかっていても、まだ身に刻まれた恐れが薄れない。

 そんな己の弱さに桜丸はほとほと嫌気がさしていた。

 あの日、怯えた桜丸は女子のように泣いた。自分の力で窮地を切り抜けようとするでもなく、ただただ怯えて立ちすくんだ。自分が情けなかった。

 無言のまま屋敷まで帰り着くと、軒先で羅宇(らう)屋が店を開いていた。

 羅宇というのは、煙管(きせる)の火皿と吸口の間をつなぐ竹管のことで、煙草にはヤニがあるためどうしても管が詰まる。なので、吸い口を掃除したり、羅宇を取り替えるといった手間を羅宇屋が請け負っているのだ。

 帯刀は羅宇屋に目を留めると、声をかけた。

「羅宇屋、一つ頼みたい」

「へぇ」

 羅宇屋はひょこっと頭を下げると、広げていた商売道具をすばやく畳んだ。

 桜丸は驚いて帯刀に聞いた。

「帯刀、お前煙草なぞ呑むのか?」

「詰まっては息が通らなくなるので、たまに羅宇屋を頼むのですよ」

 帯刀はいつもの通り表情の読めない顔で答えると、顎で羅宇屋についてこいと指示をした。

 帯刀が煙草を呑むところなど、ついぞ見たことがない。

 先日に比べればまだ衝撃は少ないが、自分の知らない帯刀の姿があることに桜丸は驚かされた。

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はしがき
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2011年04月24日

第三章 お家騒動1

『水無瀬桜』

目次

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 その日の桜丸は振るわなかった。

 集中できてないせいか剣は曇り、いつものまっすぐな姿勢には迷いが見られた。いくら手加減をするといっても、程度と言うものがある。走梅館の面々も今日の桜丸の様子には、普段を知るだけに戸惑いを隠せなかった。

 一番の失態は自分で自分の足を踏み盛大に転んだことで、いっそ笑ってくれればよかったものをこれには道場中が静まり返った。きっかけは、じっと稽古を見る帯刀の姿が目の端に入っただけだった。

 帯刀の態度はただいつもと変わらなかったというのに、一人動揺して無様に転がった。色めき立った周囲が心配してくれたのも恥ずかしかった。

 稽古も終わり、普段ならば目立たないまでも仲間たちの輪に加わっている桜丸だが、今日ばかりはその中に入るのに躊躇した。傍にはいつもの通り帯刀が影のように寄り添っている。

 今まではまったく気にならなかったのに、帯刀がいる側の毛が逆立っているようなおかしな感じがする。普段どおりに振舞うのであれば気にしないようにしよう、と自分に言い聞かせているのに、皮膚が勝手に帯刀の様子を細大漏らさず感知しようとでもいうようにぴりぴりと緊張してしまうのだ。

 そして、今までは考えもしなかった意味で皆に男を感じていた。自分とは違う骨格、生えかけた髭、隆々としたしなやかな筋肉……いつもならばただひたすらに羨ましいだけだったそれらが、今は空恐ろしく目に入った。

 そんな風に自分が彼らに怯えていることを知ったら、彼らはどんな風に思うだろうか。

「桜丸様っ……」

「きゃあっ」

 皆から顔をそむけ考え込んでいたところに、トン、と、肩を叩かれて桜丸は女のような悲鳴を上げ振り向いた。声をかけた正三郎はびっくりした顔で、慌てて肩を叩いた手を引っ込めた。

「……す、すみません」

「い、いや……私こそすまぬ、耳障りな声を上げた」

 こほん、と桜丸は咳払いをした。甲高い悲鳴を上げてしまったのは、これもめったにない失態だった。

「……今日はどうしたんですか? お加減でも?」

 正三郎の向こうに心配げに聞き耳を立てている仲間たちが見えた。……気のいい連中なのだ。そんな彼らを桜丸は騙している。

「……いや、心配をかけてすまない。どうということはないのだ。ただ何となく集中できないだけで。こんなことではいかんよな」

「ははっ、そんなこと誰にでもありますよ。今までなかったのなら、そっちの方がおかしいくらいで。どうです、気晴らしにぱっと我らに付き合いませんか? ほら、以前向町の風呂屋の話をしたでしょう。あの湯女の名前をとうとう数馬が聞いたそうで」

 あれからの進展が名前を聞いただけでとうとうも何もない話だが、それで皆は色めき立っているらしい。嬉しそうに話をしていたのを思い出して、桜丸も顔を綻ばせた。

「そうか。今日は祝いの席か?」

「いえ、そいつがどうなるかが今日の見どころです。一緒に邪魔してやりませんか? 上手くいった暁にはどこかに消えるだろう数馬は置いておいて我らの残念会というわけで……」

 桜丸の顔色が変わり、正三郎はぎょっとした。桜丸が一瞬のうちに今にも泣き出しそうな、吐瀉でもしそうな顔になったからだ。

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「SF作家とSFファンとで力をあわせ、被災した方々を応援しよう!」はしがき
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2011年04月12日

第二章 男というもの5

『水無瀬桜』

目次

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「な、何をそんなに怒っているのだ?」

 しっかりと桜丸の手首をつかんだまま、乱暴に足音高く廊下を進む帯刀に恐る恐る声をかけると、帯刀は唇を真一文字に引き結んだ。

「桜丸様、伊之助の立場は理解しておいでか? ただでさえ我らが秘密を知るものなのです。本当なら切って捨てたいところを、桜丸様の温情で命永らえさせているだけのこと。それを……」

 帯刀は、桜丸の部屋の襖を高く音を立てて開け放つと、投げるようにして桜丸を部屋に押し込めた。そして、後ろ手に襖を閉じる。

「いたたた……」

 勢いのままつんのめった桜丸は、受身もろくに取れずに転んで、それでも帯刀の方を向いて態勢を立て直そうとした。

 その桜丸を帯刀は覆いかぶさるようにして捕まえた。

 帯刀に両手首を押さえ込まれる。手首を軸に床に縫いとめられたような格好だ。

「何をする……?」

 帯刀の意図がわからず、桜丸は困惑して聞いた。帯刀の顔が近い。

「桜丸様、逃れることが出来ますか?」

「え?」

 言われて左右に力を込めるが、帯刀はびくともしない。

「ほら、あなたはこうして私を振りほどくことさえ出来ない」

「そ、それは……急だったし、帯刀がいきなり……」

「私だから、なんだというのです?」

 そういった帯刀の面差しがいつもより冷たく見えてぞっとする。

 帯刀は桜丸の手首を束ねて片手で抑えると、空いた手を胸の上に置いた。さらし越しのその感触が重い。

「胸はぎっちりとさらしで抑えていますから、こうして触れても一瞬なら知れないでしょう。だが、この下には柔らかな乳房が息づいていて、そうと知って確かめたなら、その柔らかさを感じることは出来る。私も伊之助もそのことを知っている」

 頬が熱くなるのを桜丸は感じていた。女であることを嬲られている、そう感じた。

「っ……!」

 桜丸は何度も帯刀の手を逃れようと身を捩じらせた。

「離せ、帯刀……!」

「お嫌なら、私をご自分のお力で振り払ってごらんなさい。さぁ! 女は男を受け入れるように出来ているのです。桜丸様とて例外ではない」

 桜丸はふいに自由になった手で帯刀を払いのけようとした。だが、その手は帯刀に逆に掴まれてしまう。帯刀はその手を己の股間に押し当てた。

「触って御覧なさい、わかりますか? 男のこれは、女と交接(まぐわ)うときこんなにも硬くなる。桜丸様にはないものでしょう?」

 帯刀の陽物は硬く大きくなり、人間の一部とは思えぬほどに熱く脈打っていた。その存在感はひどく強暴だった。

「このようなものがあなたの中に押し入ります。初めてのときにはひどく痛いと聞きます。しかし、あなたはこんなにも非力でただ私を押しのけることさえ出来ない」

 耳元で荒げられた帯刀の息もひどく熱い。桜丸は帯刀を恐れた。ただただ、怖かった。子供の頃から慕っていた帯刀が今は別人のように思えてならなかった。見開いた目から、つぅっと涙が頬を伝った。

「……わかりましたか?」
 組み伏せられたのも突然なら、解放されたのもまた突然だった。

 帯刀は乱暴につかんでいた手を開放すると、急に身を起こし、それほど乱れていない己の着衣を整え、荒げた息を無理に収めようというように大きく息をついた。そして、何物かを飲み込むようにして息を止め、もう一度息を吐き出した。

「これが男と言うものなのです。あなたはその恐ろしさを本当におわかりになっていない」

 帯刀は吐き捨てるように言った。

 桜丸はそれこそ生娘のように呆然として、狼藉を働かれた格好のまま、ただひたすらに帯刀を見上げていた。

 桜丸は頬を流れる涙の熱さを感じていた。打ちのめされたような気がした。

 いや、それよりももっと酷い。けして男とはなれないことを今更ながらにまざまざと思い知らされてしまった。今までの生き方のすべてを粉々に否定されたのだ。

 こんなにも男という生き物を恐ろしいと思ったことはなかった。

「あなたは他人に心を開いてはならない。それが誰にであってもです。さもなければ、簡単に女に戻ることになり、水無瀬に嫡男がないことは瞬く間に世に知れましょう。我等に残された道はひたすらに世を騙し通すことです。そのためならこの帯刀、鬼にも蛇にもなりましょう」

 帯刀はそう言って、桜丸に背を向け部屋を出て行った。

 一人取り残された桜丸は、しばらく畳を見つめていた。

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2011年04月11日

第二章 男というもの4

『水無瀬桜』

目次

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 桜丸は伊之助の言葉に驚いて、顔を上げた。美しいなどといわれたのは初めてのことだった。いや、剣線や姿勢が美しいと褒められたことならば、いくらでもある。もう少し幼い頃は可愛らしいと言われるたび、侮るなといちいち腹を立ててきたのは桜丸だ。周囲の人間は女子にするような褒め言葉を桜丸に対して口にせぬように気をつけている。だから、女にするような褒め言葉には不意を突かれ驚いた。

「……美しい?」

「はい、桜丸殿はとても美しい面立ちをしておられる。きっと紅も映えることでしょうね。それに華やかな色目の着物もよく似合いそうだ」

 伊之助は何の屈託もなくニコニコと微笑んだ。きゅうと不意に胸を締め付けられるような感覚を覚える。

「そ、そのようなこと……初めて言われた」

 桜丸は伊之助の顔が見られなくなって目をそらせた。

 どくん、どくん、と早駆けをした後のように心の臓が音を立てる。頬が熱くなった。

「それは、男にそのようなことを言うものもおりますまい。私は桜丸様が女だと知っているから、素直に美しいと言えるのです」

「そ、そのような世辞など……」

 何故世辞だと思うのか、桜丸は美しいといわれて喜んでいる自分に驚いていた。今までは、強さや賢さ、そういったことを認めてもらいたいと思っていたのに、美しいといわれて喜んでいる。

 ふと、伊之助の目が真剣な色を帯びた。

「……本当に、桜丸殿は美しい」

 熱くなった頬に、伊之助のひんやりとした掌が心地よい。伊之助の手は壊れやすい陶器に触れるときのように、ためらいがちに優しく桜丸の頬に触れていた。

 真剣な伊之助の目を見られず、かといって手を振り払うことも出来ず、桜丸はそっと目を閉じた。先ほどまで大きさ比べをしていた手が、今は自分の頬に触れている。そのことが妙に気恥ずかしい。

 触れているのは木枠越しにだというのに、まるで寄り添っているように伊之助の高い体温を感じられる気がする。

 全身が心の臓と同じ音を立てているようだ。息が苦しい。

「何をなさっているのですか?」

 急に声をかけられて、二人して飛び上がった。

 座敷牢のある部屋へと入ってきた帯刀は厳しい顔をしていた。

「あ、いや……これは……」

 二人ともが声をかけられるまで、帯刀が部屋に入ってきたことにまったく気が付いていなかった。

 伊之助も真っ赤になってうろたえ、手を引っ込めた。急に恥ずかしさを覚えたものか、きょときょととせわしなく視線を泳がせている。

 桜丸もまた、特に疚しいこともないのに帯刀に胸の高まりを知られた気がして、うしろめたかった。

「……」

 帯刀は怖い顔をすると、乱暴に桜丸の手首をつかみ、木枠の傍から引き剥がすようにして引っ張った。

「痛いっ」

 桜丸は思わず悲鳴を上げる。

「帯刀殿、乱暴はいけません」

 思わず声をかけた伊之助に帯刀は冷たく一瞥をくれると、愛想なく応えた。

「桜丸様はこの程度で怪我をするほど、柔な稽古はしておられない」

「しかし……」

「……桜丸様、どうぞこちらへ」

 帯刀は伊之助の言葉にそれ以上は耳をかそうとせず、座敷牢から桜丸を引きずり出した。

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ハナサケ!ニッポン!
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2011年04月07日

第二章 男というもの3

『水無瀬桜』

目次

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「ありがとうございます。私も家を途絶えさせるのは心苦しかったので、帰れるならこれほどありがたいことはございません」

「家を……途絶えさせる?」

 馴染みのある言葉を桜丸は無意識に繰り返した。それは物心ついてずっと桜丸自身に付きまとっていた言葉だった。

 伊之助は柔らかな微笑をほんの少しばかり苦いものに変えた。

「はい。私には兄弟もおりませんし……」

「そうか、私にも兄弟がないのだ」

 桜丸は急に伊之助を身近に感じた。他に子供がなく家を継がなければならない身というなら、自分と境遇が似ている気がしたからだ。

 だから、次の言葉が口をついたのは本当に無意識だった。

「父君は?」

「おりません」

「え?」

 予想外の言葉に、桜丸は言葉をなくした。その桜丸の態度をどうとったものか、伊之助は柔らかな笑みを浮かべたまま、補足するように付け加えた。

「周りが話したがらないので理由は聞いておりませんが……」

「あ、す、すまぬ。余計なことを聞いた」

 桜丸は慌てて頭を下げた。安易に親近感を覚えて気安くうかつなことを聞いた自分が恥ずかしかった。

「いえ、お気遣いありがとうございます。私ははじめから父の存在を知りませんでしたし、母も祖父母も自分を可愛がってくれましたから。桜丸様がお気になさらないでください」

 伊之助の微笑みは春の日差しのように穏やかだった。



 そんなことがあって、桜丸と伊之助は急速に親しくなった。親しくなったとは言っても、菓子などを持って行くついでに他愛もない話をするという程度のことだったが、桜丸にとって秘密を隠さずとも良い友人というのは得がたいものだった。

 帯刀にも言えないような稽古の愚痴や泣き言も、伊之助になら心安く話せた。

 だから、日を追うにつれ桜丸が伊之助のそばにいる時間が長くなっていくのもあるいは必然だったのかもしれなかった。

 その日も、桜丸は稽古での自分のふがいなさと、小さな手を嘆いていた。

「見ろ、このように小さな手の男などいるものか。腕や足なら太くもできる。だが、手だけはどうにもならぬ」

 木枠越しに伊之助の手を重ねさせる。桜丸の手は伊之助に比べると一回りも小さかった。比べる前からわかっていたことだが、桜丸はその大きさの違いを見て眉をしかめた。

「これはよく稽古をなさっている手ですね。ずいぶん指の付け根が固くなっておられる」

「……このところ、皆においていかれてしまうようでそれが悔しい。ここで稽古を怠れば、ますます私は遅れをとる。国主の嫡男がそれではまずかろう?」

「桜丸殿は私が知るどの男よりも、この平和な世で男であろうとしていらっしゃる。そんなにも肩肘を張っていて辛くはないのですか?」

 心配そうに伊之助が言った。

「そんなこと辛くなどはない。ただ、皆を謀っているのは胸が痛むよ」

 桜丸は視線を落とした。国の都合、家の都合、自分の都合、言い訳ならいくらもあるが、そのせいでこうして伊之助を幽閉している。伊之助には何も罪などないというのにだ。それなのに、自分は本当には男になることなどできず、こうして女々しく迷惑をかけている相手に愚痴を垂れている。

「……今まではこうではなかったのだ」

「え? その手のタコは一朝一夕に出来るものではないでしょう?」

「そうではない、私はそなたに会うまではこうしてぐじぐじと他人に繰言を漏らすほど女々しくはなかったつもりだったのだ。だが、こうして話せる相手が出来たとたんにどうだ。今までを取り返すばかりに自分のふがいなさを慰めてもらおうとこんな話ばかりをしている」

 自分の情けなさに桜丸は唇を噛み締める。誰よりも雄雄しくあろうと、そう思っていたのに一皮剥けばそこにいるのは誰よりも女々しい自分だ。

 情けない自分を思うと、じわっと目が熱くなった。泣きそうになるのを、目を剥いてこらえる。たやすく泣き出す女のような真似は、死んでも出来なかった。

「私は、桜丸殿は良く頑張っておられると、思いますよ」

 桜丸の目から涙は流れていなかったが、伊之助は涙をぬぐうように桜丸の目元に指を当てた。

「笑えるだろう? さりとて私は今更女にもなれぬ。この手が握ってきたのは剣と弓と槍、そして箸だ。着物どころか、雑巾を繕ったことすらない、針一つ持ったことのない手だ」

 伊之助は自嘲する桜丸の手をとると、あんまをするようにそっと揉んだ。その優しい仕草にどきっと胸が音を立てた。

「私の母も気丈な人ですが、桜丸様も大概気丈なお方だ。私は時折思うのです。男よりも、女の方がよほど気丈に出来ているのかも知れぬ、と」

「伊之助……?」

「桜丸殿は一生懸命なお方だ。もし、剣を捨て女に戻られるにせよ、この手のタコが柔らかくなる頃には、きっと針仕事も上手になりましょう」

「……そうだろうか」

「えぇ、それに桜丸殿は美しい。きっと女姿も素晴らしく美しいことでしょう」

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(仮題)女性による女性のための救援物資プロジェクト。

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2011年03月28日

第二章 男というもの2

『水無瀬桜』

目次

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「すまぬな、客人をこのような場所に押し込めて。昨夜はよく眠れたか?」

「はい。このようなものまで差し入れていただいて、かたじけのうございます」

 伊之助は桜丸に差し出された大福を受け取ると深く頭を下げた。

「そうかしこまることはない、ただでさえむさくるしいのだ。楽にしておれ」

 その場で切られることだけは何とかして免れたが、屋敷に帰ると帯刀は伊之助を有無を言わさず、座敷牢に押し込めた。

 帯刀は伊之助のことを全面的に信じるということはできないようで、せめて名乗りが真実か否かを確かめるまでは解き放つことはできない、と今隣国に使いを差し向けて伊之助の身元を調べさせているらしい。

 いったい何時まで閉じ込めていることになるのかが気がかりで、桜丸は大福を片手にここまで足を運んできたのだ。

 桜丸は無造作に板間へ腰掛けると、格子の木枠に背を持たせかけた。

「あ、あの……差し出がましいですが腰を冷やされては……」

「ん?」

「その、……おなごは腰を冷やすのが一番良くないと、母が」

「そのような気遣いをされたのは初めてだ」

「お気を悪くされたのなら、申し訳ありません」

「いや、嬉しいよ。だが、冷えるほど話し込む前に帯刀の奴が我らを引き離しに来るさ」

 ははは、と桜丸が笑い声をあげると、伊之助も目を細めた。

「帯刀殿の桜丸殿に対する忠義ぶり、侍として見習うべきであると思います」

「何を言う。監視されている側は息苦しくてたまらないぞ。ああも堅物では、嫁の来手もあるまい。さ、喰え。毒など入ってはおらぬから安心してくれ。私も食う」

「もったいのうございます」

 桜丸が大福を食むと、伊之助も遠慮がちに口へ運んだ。

「伊之助、なんぞ不自由はないか? お前を閉じ込めることになったのも元はと言えば私のせいなのだし、入用なものがあれば何でも言うが良い」

「いえ、格子があるだけでここは普通の部屋と何も変わりありませんし、不自由などはございません。……ただ、母が心配しているのではないかと思うと、それだけは気がかりですが」

「……それは、そうだな。突然連れてきてしまったのだから、そなたの家の者たちはさぞ心配であろうな」

 伊之助は複雑な顔でぽつりとつぶやいた。

「いかような御処分であろうと受ける覚悟はできておりますが、もし願いをお聞き届けいただけるのであれば、母に私の訃報を知らせていただければ……」

「そのようなことにはならぬ。……あってはならぬ」

 帯刀は伊之助を切りたがっていた。でなければ、何のために自分が付いていったのかと。今となって桜丸はこんなことになる可能性を考えておくべきであったと臍を噛んでいる。いくら日ごろの生活が息苦しかったとはいえ、安易に肌をさらすようなことは元よりすべきではなかったのだ。

「必ずそなたは無事に帰そう。私が約束する」

 桜丸が決意を込めて顔を上げると、伊之助の方が桜丸を慰めるように微笑んだ。

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東北地方太平洋沖地震の募金(ちょコム)

はしがき
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2011年03月26日

第二章 男というもの1

『水無瀬桜』

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 桜丸が着替え終わってなお、少年は律儀にも己の言葉通りにそこに留まったままだった。

(……着替える隙に逃げればよかったのに)

 どこかで少年が逃げることはないだろうと思ってはいたが、実際に逃げない彼に桜丸は不思議なような気持になる。

 それでいて着替え終わったのにも気がつかないほど身を固くして目を背けているのだから、別にスケベ心で逃げるのを忘れてしまったということもあるまい。よほどの小心者なのか、よほどの正直ものなのか、そのことはまだ計りかねた。

 だが、まだそこにいる少年を見て、桜丸の決意は固まった。

「おい、着替え終わったぞ」

 桜丸に声をかけられて少年はびくっと飛び上がった。

 恐る恐るこちらを向いた少年は、桜丸が衣服を身に纏っているのを見るとほっとした様子だったが、すぐにその表情は戸惑いに切り替わった。

「あ、あの……その腰のものは……」

「なかなかの業物だろう? 私は井内国国主水無瀬家嫡男、桜丸と申す」

「桜丸様!」

 桜丸が名乗りを上げると、帯刀は咎めるように声を荒げた。

「律儀にも約束を守って私が着替え終わるまで待ってくれたご仁に、きちんと名乗らなくては道理が通るまい?」

 たとえ何者であったとしても、この少年にならば自分の秘密を知られても大丈夫だ。桜丸には確信めいたものがあった。

「しかし、桜丸様……」

「ほら、先ほどからお前も私の名を呼んでいるのだから、変に隠し立てするよりこちらが何者かを明らかにした方が、勘ぐられることもなかろうし、私としても気持ちがいい」

 桜丸が言い切ると、帯刀はまだ何事かを言いたそうに唇を噛んだ。

「これは名乗り遅れました。私は隣国河津藩酒改方高柳家嫡男、伊之助と申すもの。私も下級ではありますが、武士のはしくれにてございます」

 伊之助の佇まいはしっかりとしたもので、下級とはいえきちんとした躾を受けているように見えた。しかし、その伊之助も今は無遠慮に桜丸を見つめている。

 何故女人が腰に大小を下げ、男物の着物と袴を纏い、浪人のような風体でひとくくりに髪を結いあげているのか、そのことが伊之助をひどく混乱させているようだった。

「どうした、あるはずのものがぶら下がってないのに、余計なものを腰に下げているのがおかしいか」

 桜丸が軽口を叩くと、ぼっと火がついたように伊之助が赤くなった。

「桜丸様」

 帯刀が咎め立てるように名を呼んだ。

「はは、許せ。一度言ってみたかった戯言なのだが、言う相手がいなくてな。お前は今更私に陽物がないことに驚きもしないし、言うと怒るだろう?」

「当たり前です」

「で、ではその……桜丸様はやはり女人で……」

「女人ではないということにしておきたいのだが、あぁまではっきり見られてしまってはそうもいくまい」

「いいえ、見ていません、見ていません!」

 恐れているなら青くなってもよさそうなものなのに、むしろ真っ赤になって伊之助はかぶりを振った。井内の国の重大な秘密を知った事よりも、桜丸の裸を見てしまったことの方が伊之助にとってはよほど問題らしかった。

「では覚えておいてくれ。私は女人ではない、武士だ」

「はぁ……」

「乳はさっき打ちつけたら腫れた」

 要領を得ない様子の伊之助をからかうように桜丸が付け加えると、伊之助はもはやどうしていいのか分からないという風にまた眼を逸らした。あるいはさっきまざまざと見てしまった桜丸の裸体を必死に脳裏から打ち消そうとしているのかもしれなかった。

「桜丸様、お戯れも大概になされませ。伊之助殿、同道を願いたい」

 帯刀はまだ疑うように、刀から手を離さず伊之助を見つめる。断れば切るつもりだ。

「……はい、もとより承知の上」

 伊之助は異を唱えることなく頭を下げた。

「桜丸様、わかっておられますな」

「あぁ、山駆けの時の水浴びは残念だが諦めよう。誰に見られているとも限らないとこれでわかったからな」

 緊迫した帯刀をいなすように桜丸はわざと朗らかな笑い声をあげた。

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【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|東北関東大震災義援金を受け付けます
はしがき
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2011年03月25日

第一章 偽りの姿6

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1 2 3 4 5
第一章 偽りの姿 1 2 3 4 5 6

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 遠く、鳥の声が聞こえる。誰も彼もが自分の生き方を曲げられない。これが武士に生まれついたということか。だとすれば、ただひとつ。桜丸は生まれてくる性を間違えた。そのことは誰にも責められまい。生まれてくるときに桜丸が間違えたのか、父母が悪いのか、それとも天の過ちか……そんなもの、人の身では答えの出ようはずもない。

 桜丸は気がつけばすっかり冷えた体に、川から上がろうとした。

 そのとき、対岸からがさがさと音がした。ぎょっとしてそちらを向く。

 そこには桜丸の裸体を目に入れて呆然とした顔の少年がいて、目があった。年のころは桜丸と同じくらいであろうか、仕立てのいい着物を身に纏い、品のいい顔立ちの中、目は丸く驚きに満ちている。

「……ぬっ」

 桜丸は慌てて胸を隠そうと身をよじる。裸体を見られた恥じらいよりも、他人に秘密を知られたという恐れが勝った。だが、素手でその白い素肌がいくらも隠せるわけではない。

「桜丸様、御免!」

 帯刀は桜丸の裸体を見たであろう少年を捕まえようと、ざんぶと川に飛び込んだ。すでに抜刀している。

「いけない、帯刀!」

 桜丸は帯刀の意図に気がつくと慌てて、川の流れも自身が素裸であることもものともせず、少年に駆け寄った。

「桜丸様、そこをお退きください」

「いや、退かぬ」

 桜丸は少年の前に立つと恥じらいもなく大手を広げた。桜丸の女体のすべてが日の光の下、余すところなく露になる。

 少年の方からは、なだらかな背中と小さな尻が見えていたし、帯刀からは、白い乳房も、その先端を染める桜色も、そして下腹部に淡くけぶる叢も丸見えになっていた。

 帯刀はぎりっと唇を噛むと、桜丸越しに突然現れた少年を睨みつけた。

「その方、何者だ。何のために我らをつけていた、言え!」

 帯刀の問いはびりびりとあたりに木々まで振るわせるほどに迫力のある音声だった。

 だが、桜丸は自分のその姿に臆する様子もなく、広げた手を下ろそうとはしなかった。帯刀は少年をかばう桜丸をどけようと、再び桜丸に声をかけた。

「お退きください、桜丸様。そのもの、桜丸様の秘密を知ったからには生かしておくわけには参りません」

 今にも桜丸越しにも少年を切らんとする帯刀を桜丸はきっと見据え強く言い募った。

「世間を騙しているというだけでも私の罪は重かろう。この上、人まで殺めたとあっては、いかなる神仏もけして私を許しはしまい」

「そのものを殺めるのは私でございます」

 帯刀は見知らぬ少年を庇う桜丸の振る舞いに苛立っているのか、声を荒げた。その視線はわずかな揺らぎも許さないかのように桜丸の後ろの少年を見据えている。

「私が女と生まれたことがそなたに人を殺させるのだ。その罪は私のものだ。ならば私ごと切れ、帯刀」

 桜丸はそう言うと帯刀に背を向け、少年の方を向いた。少年は、慌てたように頬を染めると顔を背けた。

 桜丸を見ないように目を背けたまま少年は、自分の袴をぐっと握って震えるような声で言った。

「いけません、女人がそのようなはしたない姿で男の前に立っては」

「自分が切られるかもしれない瀬戸際にずいぶんと余裕があるのだな」

 桜丸は驚いて少年に聞いた。

「いえ、ここに人がいるとは知らなかったこととはいえ、女人に恥をかかせたのは私の不徳の致すところ。ならば、その罪は甘んじて受けましょう。ですからどうぞ、まずは衣服をお召しください。その間逃げ隠れはいたしませぬ」

 少年は頑ななまでに桜丸から目を背けている。少年の態度に嘘は感じなかった。

「そうか。聞いたな、帯刀。私が服を着るのを手伝ってくれ」

「しかし……」

「お前が手伝えば、私はさっさと服を着られる。この者は逃げぬと言っているのだ。この態度を見れば服を着てからのほうが話も早かろうよ」

 帯刀が何事かを言いよどむが、それに被せるように桜丸は言うと、ざぶざぶと帯刀の方へ進み出て帯刀の肩を掴んだ。

「それとも帯刀、話がすむまで私にこのまま生き恥をさらしておれというのか」

 さらしを巻き締めるのには手間がかかる。もうすっかり慣れているので桜丸ひとりでできぬことではないが、それでも手伝ってもらった方が早いのは確かだ。

 それに、もし少年が逃げるならそれはそれでかまわないと桜丸は考えていた。少なくとも桜丸が何者かを少年が感知したようには思えないし、これはただの勘に過ぎないが、もし知ったにしても桜丸が女であると言いふらすような男にはとても見えなかったからだ。

「御意」

 帯刀は唇を噛みながらも応えて、少年を一瞥した。少年はまだ目を背けたままだった。

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2011年03月24日

第一章 偽りの姿5

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1 2 3 4 5
第一章 偽りの姿 1 2 3 4 5

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「すまんが、いつもどおり水浴びをしていく。見張りを頼むぞ」
「心得ました」

 ここにくると、桜丸は帰る前に川の水で身体を清めて帰るのが常だ。走って火照った身体に流れる川の清水はいかにも冷たく心地よく、悩みで淀んだ意識までさっぱりと洗い流してくれるように感じられる。

 桜丸は岩の上に本差と脇差とを並べて置くと、袴の紐を解いた。帯を解き、小袖を脱いで、下着も脱ぐと、さらしと褌を外し、素裸になって足からゆっくりと穏やかな川の流れに足を浸す。

「くぅ……冷たいなぁ。気持ちがいいぞ、帯刀お前もどうだ?」

「私まで川に入れば、見張りをするものがいなくなります」

「それもそうだな。ははは。私が上がったらお前も涼をとれ」

「見張りをしている間に、これしきの汗は引きましょう」

「そうか」

 桜丸は両手に水をすくうと、白い己の肌に水をかけた。白く張り詰めた肌は水を弾き、弾かれた水はころころと珠になって、肌を伝い落ちる。胸の谷間には汗が溜まり、さらしをまかれた部分は少し赤く擦れていた。まだ初夏というにも少し早いこの季節でこれだ。ぎっちりとさらしを巻き続ければ、じきに立派な汗疹になるだろう。それを想像するとげんなりとしてくる。

「なぁ、帯刀」

「なんでしょう?」

「なぜ私は女になぞ生まれてしまったのだろうな、望まれもしないのに」

「……それも天命ということでしょう」

「もし私が男に生まれていれば、母上に余計な心労を掛けることもなかったし、今頃は父上を隠居させて楽をさせてあげられたのにな」

 桜丸は帯刀に話しかけるでもなくそう言って、空を見上げた。木々の緑と空の青が目にまぶしかった。

「……天も酷なことをなさる」

 桜丸の呟きに帯刀は声をかけた。

「桜丸様が女に生まれたのは桜丸様の咎ではありますまい」

「……かもしれぬが、私が男であったなら何がなせたのだろうと思うとな」

「過去を嘆いてもどうにもなりませぬ。今をどう生きるかが肝心でしょう」

「軽く言ってくれるよ」

 ははは、と桜丸は笑った。過去も今も、そして未来もどうしようもないのだ。帯刀だってそんなことはわかっているだろう。まるで袋小路に追い詰められて、土砂崩れを待っているかのような、そんな気分だ。

「私が男であったなら、すべての憂いが消えるものを……そうだ、帯刀、いっそお前が養子になればよかったのだ」

 桜丸はふと思いついて、帯刀の方を見た。帯刀は桜丸に背を向け、辺りを睥睨している。

「なんなら、今からでもいいだろう。どうだ?」

 武芸に秀で、学問にも長けた帯刀は自分よりも、いっそ国主の嫡男にふさわしいではないか。そんな卑屈めいた考えが頭をよぎる。所詮私は女なのだ、といういじけた想いが胸を掠めて痛めつける。

「それでは、水無瀬の血が途絶えてしまいます。それに私は、生まれついて水無瀬次期当主の懐刀となるよう、育てられてまいりました。それ以外の生き方は選べませぬ」

 いっそ頑なに聞こえるほど強く帯刀は言った。その声音からどこまでも桜丸に仕えようという帯刀の思いの強さが伝わってくるようだった。

「……そうか、無理を申した」

 桜丸は帯刀に聞こえないように溜息をついた。

 遠く、鳥の声が聞こえる。誰も彼もが自分の生き方を曲げられない。これが武士に生まれついたということか。だとすれば、ただひとつ。桜丸は生まれてくる性を間違えた。そのことは誰にも責められまい。生まれてくるときに桜丸が間違えたのか、父母が悪いのか、それとも天の過ちか……そんなもの、人の身では答えの出ようはずもない。

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2011年03月23日

第一章 偽りの姿4

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1 2 3 4 5
第一章 偽りの姿 1 2 3

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「それは相手が尋常な技を使う武士であったならばけっして遅れをとることはしませんが、賊は一人とは限らないし、どのような武器を持っているやもしれませぬ」

 いつの世にも革命を夢みるものはいるもので、国主ともなれば特に大きな意味はなくとも命を狙われることもないとは言い切れない。戦乱のない世に生まれ、重臣たちに守られて暮らしている身であっても、誰かが何かの目的で桜丸の命を狙うことがあるやも知れないのだ。また人気のない山ではどこからか賊が流れてきて、住み着いていないとも限らない。

「帯刀は心配性だな。今まで賊が私の目の前に現れたことなど一度もないではないか」

「それは今までが幸運だったのです。これからもないとは限りませぬ」

「ふむ、帯刀の言うとおりだ。ならば私もならず者に遅れをとらぬように、いっそう精進せねばなるまい、なっ」

 桜丸はそう言うと、突然山道を駆け出した。帯刀を振り切らんとする勢いだ。

「桜丸様っ」

 慌てて帯刀も後を追う。まるで子供の追いかけっこだ。はじめ笑いながら走っていた桜丸だったが、すぐに真剣な顔になった。あくまでも山駆けは鍛錬の一つ。登りであれば足の力を存分に使い、どこに足を着地させるかを瞬時に見極めながら、次の足を踏み出さなければならない。不用意に硬い根と柔らかな土の狭間でも踏めば、簡単に足をくじくことになる。下りであれば体の重さで勢いが付くだけ、いっそう機敏な判断が要求される。風や軟らかな土、張りめぐらされた木の根を、いかに敵にせず味方にするかが山駆けには問われる。

 だが、山林を吹き抜ける緑の風を感じながら走るのは、小さな自分を離れ、本当の意味での己自身になれるようで大層気持ちが良かった。

「ははははは、やっぱり帯刀を振り切ることは出来なかったか」

 やがて少し開けた場所に着くと、桜丸は盛大に息を切らしながら笑い転げた。精一杯走ったつもりなのに、ちっとも帯刀を引き離すことは出来ず、帯刀が自分よりも明らかに涼しい顔をしているのが悔しくもあり、水無瀬家の嫡男としては優秀な部下が頼もしくもある。

「当たり前です。恐れながら私が桜丸様に遅れを取るようでは、桜丸様をお守りすることなど出来ないではありませんか」

「それも、そうか」

 草むらでごろりと横になると、木々に囲まれた高く青い空が見える。近くには川が流れており、さらさらとした清涼な音が聞こえる。はぁはぁ、と乱れる息で胸が上下すると、さらしに押さえつけられているのがいかにも窮屈だった。

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2011年03月22日

第一章 偽りの姿3

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1 2 3 4 5
第一章 偽りの姿 1 2 3

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「今日は忙しいか、帯刀?」

「いえ、本日は特に用はございませんが」

「では、久しぶりに山に参る」

「また、お一人でですか?」

 桜丸の言葉に帯刀は眉を顰めた。桜丸は足腰の鍛錬に山を駆け歩くことを好んだが、山にはどんな危険が潜んでいるやも知れず、帯刀は桜丸の山歩きを苦々しく思っている。

「付いてくるなと申しても、いつもお前は付いてくるではないか」

「当たり前です」

 いくら戦乱の世でないとはいえ、主家の嫡男を一人で出かけさせるわけがない。

「では、それで十分だ。かまわないだろう」

 桜丸は笑ってそういうと馬を出させ、帯刀一人をともに城から少し離れた山へと向かった。

 桜丸はあまり供を多く連れ歩くことを好まない。それは己が秘密を抱えた身であることもあった。城や町道場にいれば、どうしても己が秘密を抱えた身であることを意識しなければならない。気をつけて気をつけすぎるということはないのだ。それに誰かと親しくなれば、その相手を騙していることが心苦しくなる。だから、つい他人との付き合いでは一線を引いてしまうのだ。

 それが、人目につきにくい山で、供は己の秘密を知る帯刀一人ともなれば、少しは解放されているような気分を味わえる。だから、山駆けを好んだ。しかし、そんな桜丸の思いを知ってか知らずか、帯刀は桜丸が一人になるのを好まなかった。

「桜丸様はいつも無防備が過ぎます」

「許せ。だが、城屋敷に篭っているのも、街を歩くのも息苦しくてかなわんのだよ。日々真面目に武士道に励んでいるのだ、鍛錬を兼ねたこのぐらいの息抜きは許しておくれ」

 帯刀の馬を下りるなりの小言に、桜丸は笑いながら答えた。

 馬はいつも山の麓の村で預けて、徒歩で山道を登る。歩きにくい急勾配の道ともいいがたい道しかない山で、これを登り下りするといい脚の鍛錬になるのだ。

 帯刀はいつも馬を預かってくれる老人にいくばくかの金を渡すと、桜丸と共に山道を歩き出した。

 やがて、人里を離れたあたりで桜丸は軽口を言い出した。

「帯刀が私の山駆けを苦々しく思う気持ちもわからないではないよ。だが、これほどきつくさらしを巻いていては、名人でも私を一太刀には出来まい」

「ですが、もし桜丸様を狙い討たんという不心得者が現れたならなんとします。私一人では心もとない」

「おや井内で国一番の使い手が謙虚なことだな」

 ははは、と高らかに桜丸は笑った。

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2011年03月21日

第一章 偽りの姿2

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1 2 3 4 5
第一章 偽りの姿 1 2

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(お世継ぎ……か……)

 このままでは早急に桜丸が元服してお家を継がなくてはならず、その猶予はありそうもない。なにがあろうと、お家のため、女だとばれるわけにはいかない。またお家を存続させようと思うのならば、嫁を取り子を為さなくてはならないだろう。しかし、女の身でありながら嫁をもらうことなどできそうにもないし、万が一口が堅く信用の出来る娘が嫁に来たとしても、子を為すことは不可能だ。子供はいずこからか養子をもらってくればいいにしても、水無瀬の血をつなげることができない。だからといって男を嫁にすることもできまい。

 水無瀬の血を残さんとするなら桜丸が子を孕むより他にないのだが、そうなれば十月十日の歳月女だとばれずに過ごすことなどできるわけがない八方塞の状態だ。

 桜丸には、ただ今己が女であることがばれぬように、武芸にいそしみ、勉学に励むより道がなかった。何を学ぶにつけ人一倍熱心なのは、周囲のものに女だとばれないようにという一心だ。

 だが、そんな桜丸の努力をあざ笑うかのように日ごとに体は女らしくなっていく。昨年まではさらしなどほとんど必要なかったのに、このところは膨らみを押さえつけるために十重二十重に巻きつけねばならない。月のものは一昨々年ぐらいから始まっている。幸いにして母に脅されたように具合が悪いというほどではないが、月の触りの期間は己の血生臭さにいつ周囲に気取られるか戦々恐々の日々だ。

(こんなこと、いつまでも続けられるものでもあるまいよ)

 この所、剣の修行に励むにつれ、女が男を装うなどばかげているのではないかと、桜丸は強く思うようになっていた。どれほどまで修行に励んでも、いや真面目に励めば励むほど己の力なさを痛感する。仲間の少年達は日一日と男になっていく。桜丸は置いていかれるような気持ちを味わうばかりだ。

 それに昔から四知という。どんな企みごとでも先ず己が知っており、相手が知っており、そして天が知り、地が知っているという意味だ。桜丸に関していえば、自分自身に帯刀、そして父母、一部の重臣達。その四知よりもはるかに知っているものが多いではないか。

 桜丸は床の中で深く深くため息をついた。己の生涯がひどく安っぽい茶番にも感じられた。

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2011年03月20日

第一章 偽りの姿1

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1 2 3 4 5
第一章 偽りの姿 1

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(どうすればいいんだろうな)

 桜丸はこのところ、夜ごと天井を見上げるたびに考え込んでいる。

 桜丸の父である井内国国主水無瀬継睦(つぐちか)は幼い頃から病がちだった。大人になれば丈夫になるだろうという周囲の期待も虚しく、大人になってなお床に伏せることも多かった。それでも何とかやってこられたのは、徳川の世も久しく平穏が常となっていたからで、もしこれが戦国の世であったならとっくに水無瀬の家は絶えていただろう。

 またもともと子供の多い家系ではなかったのだが、継睦の親の代になって血縁にも恵まれないようになり、継睦の親類縁者はいずれも早世していたし、子があれば皆女の子であった。

 ゆえに継睦は誰かに跡目を譲ることも出来ず、己で子をなさなければいけなかった。しかし、妻を娶っても長く子供には恵まれず、やっと正妻に授かったのは桜丸ただ一人。桜丸が生まれたときの産声は高らかに力強く、一瞬跡目に恵まれたと喜びさえしたらしい。しかし、桜丸は女の子であった。

 継睦にも妾は幾人かあったが、子宝には恵まれず、生まれても女の子ばかりだった。その上、桜丸が生まれてからしばらくのち、継睦が倒れた。

 もしそのまま継睦が亡くなったなら、跡目を継ぐ男子がなく藩はおとりつぶしになってしまう。そこで、井内藩では桜丸を男と偽って届け出、嫡男としたのである。これは真実男子が生まれるまでのいわば繋ぎであった。だが、それから十四年。桜丸が元服する時期になっても男子が生まれる気配は一向になく、それどころか継睦は日々の心労にいっそう体調を崩すようにさえなっていったのである。

 かくして、女名前さえ与えられず男児として育てられた桜丸は、いよいよ持ってその正体を世に知られるわけにはいかなくなったのだ。もしもこのことがお上に知られれば、お家断絶はおろか、幕府をたばかったとして一族郎党の極刑は免れぬだろう。

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2011年03月19日

序 『花は咲くことを知らず』5

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』
1 2 3 4 5

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 水無瀬家の嫡男が十五にもなってまだ元服をしていないのは、桜丸の母がその麗しい前髪姿を惜しんだからだとも、父が月代の似合わないであろうことを哀れんでだとも噂されている。

 だが、真実はいくら鍛えても無骨になりきれないその白く細い指が物語っていた。

「さて、私も汗を流そう」

 いつまでも手を眺めていたところで剣が上達するでなし、桜丸は立ち上がると湯屋へと向かった。

 脱衣所で袴を取り、着物を脱ぐ。下着の隙間からのぞく胸には異様なほどにしっかりと巻き締められたさらしがある。毎日のことながら、これを解くのと巻きなおすのはひどい手間だ。

「あぁ、面倒だなぁ」

 桜丸は呟いた。いっそこんなものを巻かなくて済むようになればどれほど楽かわからない。

 ぱらり、と白い布が身体から離れた。ころりとまろび出たのは目にもまぶしいような白い乳房だ。

 先刻まできつく締め付けられていたのにもかかわらず、少しも小さくなる様子もなく己の存在を誇示するように主張している。

 桜丸はまた一回り大きくなったように思えるそれに手を当て、忌々しそうに首を振った。

「このようなものがあるから、私は強くなれぬのだ」

 八つ当たりなのはわかっていたが、己の体を憎まずにはいられない。

 桜丸には秘密があった。桜丸は女であったのだ。

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2011年03月18日

序 『花は咲くことを知らず』4

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』
1 2 3 4

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「腕を上げた、か」

 風呂屋に向かうという血気盛んな仲間たちと別れ、帯刀と家に戻り、部屋で一人になると桜丸はじっと己の手を見ながら一人ごちた。

 桜丸は技量こそ仲間たちに劣らないが、飛びぬけて非力だ。素早さで相手に勝っても、鍔迫り合いになれば力で押し切られてしまう。今日稽古をつけてくれた弥三郎であれば、桜丸を弾き飛ばし打ち据えることなどたやすかっただろう。仲間内で一番の優男、数馬にさえ、力では遠く及ばない。

 手加減をされたことは知っていて、たまらなくそれが悔しかった。だからといってそれを表に出せば、また周囲の者たちがいらぬ気遣いを背負い込むのだろう。だから、桜丸はあえて自分の不満を表に出そうとはしなかった。悔しければ、ひたすらに修練を積むよりないのだ。

 仲間たちからも師範からも敬語を使われていたことからわかるとおり、桜丸は卑しからぬ家の息子であった。加賀百万石の支国である井内国国主水無瀬家の長男にして一粒種であり、石高は少なくともいずれ一国の国主となる身である。

 ゆえに、けして手ひどく打ち据えられることなどない。適当にそれなりに稽古さえしていれば、相手は手加減をしてくれ、師範は桜丸を誉めそやす、とこういう寸法であった。戦国は遠くなり、平穏な徳川の御世にあって、こうも武芸に励む桜丸は熱心だというだけで賞賛の的なのだ。だが、桜丸にはそれが面白くない。

 細く白い指を忌々しく思いながら、剣を握り続け硬くなったタコをなだめるように摩った。

 いくら己で修練を積めといえども、他のものから見れば手加減をせねばならないほどに侮られているのかと。一人になってようやくその思いを顔ににじませることができた。己の非力が悔しかった。

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2011年03月17日

序 『花は咲くことを知らず』3

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1
序 『花は咲くことを知らず』2
序 『花は咲くことを知らず』3
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「まったくだ。千両箱を詰まれても権ノ介相手にそんなことを挑める奴は肝が一抱えもあるか、よほどの奇矯者かどちらかだよ」

 桜丸に同意したのは背の高い色男の数馬だ。数馬がそう言いながら桜丸をちらりと見たのは、口から出掛かった言葉が不敬に当たるからであった。

『衆道であらば、女役は……』

 その思いはその場にいた桜丸以外のすべての者にあった。抜けるように白いうなじも、華奢な手足も、女慣れしていない健康な男子に劣情を抱かせるには十分である。剣を共にする仲間とはいえ、着物の隙間から素肌が垣間見えるたび、何度桜丸にドキッとさせられたことか。いつぞや手を打たれた桜丸が苦悶の表情を浮かべ剣を取り落としたときになど、どれほどの道場生が邪な感情を抱いたものか。

 誰も口になどださねども、妖しげな高ぶりに悶々と桜丸を思い、眠れぬ夜をすごしたことか数知れぬ。知らぬは桜丸だけであった。

 桜丸のいないところでは、桜丸さえ望むのならば念友になりたいものだと、男色に興味のないものでも言っているくらいだ。ただ、牽制しあっているからか、よほど意気地がないものばかりが寄り集まったのか、はたまた総じて忠義心に長けているからか、桜丸に言い寄るものは皆無であった。

「それじゃ、本当に俺たちだけで行ってきますよ。あとで話を聞いて悔しがらないでくださいね」

 正三郎が念を押すように言うと、桜丸は笑いながら答えた。

「誰かが見事、その姫君を射止めてきたなら祝いに私が飯でも酒でも奢ろうじゃないか」

「その言葉、きっと本当ですね」

「あぁ、君たちの武勇伝を楽しみにしているよ」

 ははは、と笑いあって仲間と別れる。

 わいわいがやがやと隣町の風呂屋に向かう仲間達を見送りながら、桜丸は影のように傍らに寄りそう背の高い男にポツリと呟いた。

「帯刀(たてわき)、お前は行かなくていいのか?」

「私は桜丸さまの懐刀なれば、御身を離れることはありませぬ」

 にこりともせずに男は答えた。なまじに顔立ちが整っているだけに、動かない表情は作り物を思わせる。五百羅漢の中に並べておいても、人は怖い顔の羅漢がいるとでも思うだけでそれと気づかずに通り過ぎてしまうだろう。

 帯刀は桜丸の乳兄弟で桜丸の秘密を知っている。ただし、木か石かででもできているかのように愛想もこそもないが、信頼だけは誰よりもできる男だ。

「そうか、苦労をかけるな」

「いえ」

 すまなそうに桜丸が言うと、帯刀は短く答えた。

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2011年03月16日

序 『花は咲くことを知らず』2

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1
序 『花は咲くことを知らず』2

 やがて稽古も終わり、皆で礼をすると、桜丸もまた同朋と肩を並べて道場を出た。男達は多少のばらつきはあれど、おもにまだ少年の匂いの抜けない血気盛んな年頃の若者ばかりである。

「あー疲れた疲れたー」

「今日の西条殿の小手はいっそう鋭かったな」

「宇野殿は機先の気配がつかめないからどうもやりにくい、恐い相手だ」

 若者らしくわいわいと皆が談笑する中、桜丸は静かに微笑んでいた。稽古には人一倍熱心だが、気性は大人しく優しい。皆が悪ふざけをしている中でも、けして醒めている訳ではないが、目立つのを嫌うかのように大人しく微笑んでいるのが常だ。

「最近は暑くなってきたな。さして体を動かしたわけでもないのに汗だくだ」

「ひとっ風呂浴びていくか」

 朗らかにそういって笑いあった男たちに、一人の男がいかにもいやらしそうな風情で笑いかけた。

「そういえば、知ってるか?」

「なんだよ正三郎?」

「向町の風呂屋に、それは上等な湯女が入ってさ」

 ひひひ、と助兵衛面を隠しもせずに、湯女の話を持ち出した正三郎は口元を拭うような仕草を見せた。無論助兵衛面と言っても、まだ少年の面影の残る彼のそれは、劣情よりも微笑ましい好奇心を多分に含んだものだ。

 仲間内では助兵衛で通ってはいるが、ひとり先に女を知るほどの勇気はない。ただ、どこに可愛い女の子がいたの、どこの後家さんは男を通わせているらしいだの、そういったたわいもない話を仲間内に持ち込んでくるのが正三郎だ。口元を拭う仕草も仲間達のウケを狙ってのものだろう。

「えぇ!? どんな女なんだ? 年のころは?」

 桜丸と一人を除いて、わっとどの顔も一様に色めきたった。湯女の話を持ちかけた正三郎に皆が群がったのは、たぎる若さゆえか仕方のない話であった。

「その女の顔は見たのか、風呂には入ったのか?」

「話しかけてきたりしたのか、それともお前から話し掛けたのか」

「いや、遠くから眺めただけだ。しかしいい尻をしていた」

「色は白いのか? 胸はどうだった?」

「話によると、よく来るらしいから自分の目で確かめたらどうだ」

 そうとだけ答えて、正三郎はニヤニヤとしている。

 おおかた話かけることも傍によることもできずに、遠くからぽぉっとしていただけだろうに、見たのは自分ひとりだからとやけに自慢げだ。聞いている方は正三郎の話だけでは埒が明かず、またそのにやにやした顔にいかんともしがたい好奇心をそそられて、あっという間に件の美女がいる風呂屋に皆で向かおうという話がまとまった。その中の一人が、輪を外れていた桜丸に話しかけた。

「桜丸様、美女を拝みに向町の風呂屋にみんなで行こうという話しになったんですが、たまにはご一緒にいかがですか」

 桜丸は一瞬面食らった様子だったが、すぐにその顔を苦笑いに転じると首を振った。

「いや、私はいいよ。明日その話を聞かせておくれ」

 桜丸が断ると正三郎が不服そうに唇を尖らせた。

「桜丸様は、いっつも女の話となると乗ってこない。たまにはお付き合いくださいよ」

「そうは言われても、私はまだ女人に興味が持てないのだ」

「えぇ、じゃあまさかこっちの気が……」

 困ったように答えた桜丸に、仲間内でもひときわむさくるしい権ノ介が尻を押さえて後ずさって見せた。

「この、バカっ」

 仲間内の一人が、尻を押さえる権ノ介をこつんと小突く。皆の中からはははと明るい笑い声が起きた。

「ははは。いくら衆道は武士のたしなみとはいえ、相手は美童がするものだろう? 権ノ介相手じゃよほどの猛者でもしり込みするだろうさ」

 桜丸は自身も笑った後、そう言って答えた。

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2011年03月15日

序 『花は咲くことを知らず』1

『水無瀬桜』

序 『花は咲くことを知らず』1

「きえぇえええええい!」

「いやぁぁあああああああ!」

 人のものとも思えぬ声が、静まり返った空気を切り裂く。

 ぐるりと壁際で道場生が見守る中、華奢な少年と、丸太のように太い腕のむくつけき大男が対峙していた。

 ここ走梅館は市街から少し離れた場所に居を構える町道場で、今は稽古の真っ最中だ。いくら稽古で、手にしているのは竹刀だし、面金もつけているとは言え、対峙する二人も周囲で見守る者たちも、その表情は真剣そのものだ。ピーンと空気は気持ち良く張り詰めている。ただその空気を震わせるのはおのおのの息遣いと、対峙する二人から時折発せられる気合だ。

 すり足でじっくりと間合いを読みあいながら、いかほどの時間気合を掛け合うだけで、ただ睨み合っていただろう。

 少年がす、と足を踏み出した。その瞬間、機先が動き、パシーンと乾いた小気味いい音が響き渡った。

「ううむ、お見事」

 そう唸ったのは、掛け軸の前で腕を組んで二人の試合をじっと見ていた師範であった。

 打たれたのは大男のほうだ。竹刀はまっすぐ正面から男の額に打ち込まれていた。打ったものの性根がわかるようなまっすぐな剣先だった。

 少年が息を整えると、それまで試合をしていた二人は引いて剣を収め、互いに礼をした。

「桜丸殿、また腕を上げられましたな」

 大男が面を取りながら嬉しそうに声をかける。少年もまた面を取って「かたじけない」といって、かすかに笑んで見せた。面の下にあったのはまだ幼いといっても良い顔であった。桜丸が笑むと頬にえくぼができた。

 桜丸はこの年でもう十五になる。年のころといえばもうとうに元服をしていてもいいはずなのに、まだ前髪は落としていない。声変わりもしておらず、いっかなむさくるしさを感じさせないし、髭が生えてくる様子もない。まことにつるりとした剥き卵のようなかんばせである。

 その顔にえくぼを浮かべているのはなんとも言えず可愛らしかった。


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